食う

やっとバイト代が入ったので今日は好きなものを好きなだけ食おう
でも何だろう
食えなくて喘いでるときは必死に食べ物を欲したのにいざ食えるという状況になると食欲が無くなって心地いい体がデトックスされた感じになる


他人との食事ほどまずいものはない
石黒浩先生の言葉を思い出す
人にとって食事は対話である、だっけか
対話をするとき、人は主観と客観の間の状況に自らを置いて相互のコミュニケーションを擦り合わせていくもので、食事というこれはおいしいものだよね、などといったある程度客観性のある事柄によって対話が成立するとかなんとか
どうでもいいけど、石黒先生に会って話してみたい
まだ理解を深められるだけの教養は自分にはないので、勉強しないといけないな


理系だけど、大学に入って理系と文系に分けることがすごくもったいないと思うようになった
バカだろとさえ思う
これらに境界なんてあんの?
これは国が科学にお金を投じることを渋る理由に通じていると思うな
科学が社会にもたらしてきた恩恵は計り知れないが、それはいささか後回しされがち。
国のお偉いさん方が優秀なのは十分承知しているつもりなので、ある程度の科学リテラシーは持ち合わせているとは思うけど、いわゆる文系と呼ばれる人たちが科学のことを知りもせずに予算を決定しているのであれば恐ろしい話だ(2位じゃだめなんですか発言を思い出す)
今こそ国は文系と理系の枠を取っ払って国民全体の科学リテラシーを高める努力をするべき

はじめまして

初めまして
とまとです


ひきこもりなのでブログをはじめました


腹減った
イライラする
減りすぎて気持ち悪い
仕送りまであと三日
夏休みが終わるまで三日


今年、自分は大学に入学した
友達()もできた。
面白いこともたくさんあった
つらいこともたくさんあった
てかつらいことのほうがおおかった
何が嫌ってさ、友達()と一緒にいてもつまらない
わかってるよ
それは自分がくそつまんねー人間だからだろ


つまんない日常の中にも、楽しいと思えることがあって、
それは体育の授業。テニス。
友達のすすめで渋々入ったが、少人数で和気あいあいとした雰囲気はすごく楽しかった
理工系単科大だからか知らんが女子は一人か二人くらいしかいなかった
彼女らと仲良して自分のさみしい心が潤った
すごく話すのが楽しくて、俺の言ったことに笑ってくれて
俺も笑って
しらぬまに恋に落ちたかと思いきや、ただ単にさみしかったから気持ちが盛り上がってただけと気づく。
俺の悪い癖だ
好きでもない女の子と付き合い、満たされたらフェイドアウト的な
まあそんな話はどうでもいい


大学に入った直後、友達を作ろうと奮起していたから、一緒に行動する友達もすぐにできた
毎日毎日つまらない会話をするためにあつまる
次第にイライラし始めて、俺の方から友達を露骨に避けた
鈍感でバカなそいつはしつこく俺を飯に誘う
自ら孤独を選んだんですわ俺は
それがどうだ。このざまは
夏休み中、ずっとだらだらして外出せず、バイトもさぼり金は親頼み
くずじゃねえかよ


ふと将来を思う
こんな研究がしたい
この教授に教わりたい
目標を見つけて満足


思ったんだが、必死で努力した経験を持たない、さぼり癖がある、情熱がない、
こんな人間がこれから社会でどう生きていくんだ
最近じゃバイト先にむかうのすら億劫だ
高校時代にもましてさらに気持ちが冷めているのを感じる


でも俺は知ってる
この退屈な日常を抜け出す方法を
それは努力してみること
最初は辛いだけのことも、ある程度上達すると楽しくなるんだと思う
その山を越えるのが難しいんだけどね


岩田聡氏を例に挙げてみよう
彼の生い立ちをまとめた動画を見て、この話と通じるなと思った
彼は学生時代はpcが好きで好きでしょうがなかった
自分からしたら、pcを好きになることに理解できない
しかし、それはわからないから。魅力をしらないから
pcを自在に扱うのは容易なことではないと感じてしまうからそれを敬遠する
彼だって最初から生まれた瞬間からpcが好きというわけではないだろう
幼少期に山をこえたからそれに熱中できるんだ
だが凡人にはこの経験がない
ある程度大人になって山を越えるのは幼少期にやるのと比べれば相当大変なことだ


でもその山を越えたものは、人生が充実して豊かなものになることは間違いないんだろうな


わかってんだよそんなこと


今は机に向かうことすらめんどくさいんだ